諸聖人の日と死者の日

10月31日はハロウィンです。

残念ながらハロウィンが10月31日と知っている日本人はまだ少ないようです。

欧米人からしてみればお正月がいつか知らないのと同じでしょうか?

ハロウィンの起源などは他でたくさん紹介しているので、今回は諸聖人の日と死者の日について研究していきます。

ハロウィンは諸聖人の日の前夜です。

聖人とは、一般的に、徳が高く、人格高潔で、生き方において他の人物の模範となるような人物のことをさします。

まずは諸聖人の日とはどういう日なのでしょうか?

まずは困ったときのウィキペディアで概略を理解してみます。

下記引用

カトリック教会の典礼暦では11月1日が諸聖人の日で、続く11月2日が死者の日となっている。死者の日は「万霊節」とも呼ばれていた。諸聖人の日は、かつては「守るべき祝日」の一つで、主日(日曜日)と同様、ミサにあずかるべき日とされていた。英語では、公式にはSolemnity of All Saints、また略してAll Saintsと呼ばれるほか、「オール・ハロウズ(All Hallows)」、「ハロウマス(Hallowmas)」とも表記される。
聖公会でも11月1日は「諸聖徒日」と位置づけられる祝日(ただし11月1日後の主日にこれを行ってもよい)であり、続く11月2日が「諸魂日」となっている[1]。
プロテスタントの日本基督教団では、11月の第一日曜日は「聖徒の日」とされているが、カトリックや聖公会とは意味合いが異なり、聖人のためではなく亡くなった信徒たちのために祈る日になっている。
また、正教会は五旬祭後第1主日を「衆聖人の主日」[2](しゅうせいじんのしゅじつ、ギリシア語: Κυριακή των Αγίων Πάντων[3], ロシア語: День всех святых[4])として祝っているが、これは年ごとに復活大祭に合わせて祭日が変化する移動祭日であってしかも5月か6月にあたり、カトリックの「諸聖人の日」とは日付が大きく異なる[5]。


歴史
一年のうちのある一日にすべての聖人と殉教者を祝う習慣が始まったのは4世紀ごろであった。もともとこの習慣はアンティオキアで始まったようである。アンティオキアではペンテコステのあとの最初の日曜日が諸聖人の祝日となっていた。金口イオアンの407年の説教の中にも諸聖人の祝日への言及がみられる。アンティオキアなど東方で行われていたこの習慣が、西欧に伝わったものが、諸聖人の日とされる。
カトリック教会における諸聖人の祝日の制定の起源に関しては、609年5月13日、教皇ボニファティウス4世が異教の神殿であったローマのパンテオンを聖母マリアと殉教者のためにささげ、それ以来5月13日が聖母と殉教者たちの祝い日となったという説がある。中世の研究者たちは、5月13日が古代のローマの宗教ではラミュレスといわれるさまよう死者の魂をなだめる日であったため、このラミュレスの日がキリスト教的に再解釈されて諸聖人の日になったと考えたが、現代ではこの説はあまり受け入れられていない。現代の研究者たちが有力と考えているのは、8世紀前半の教皇グレゴリウス3世がサン・ピエトロ大聖堂の中に使徒とすべての聖人・殉教者のための小聖堂をつくり、その聖堂の祝別の日が11月1日にうつされたことでやがて11月1日がすべての聖人と殉教者の日となったというものである。記録によれば、シャルルマーニュの時代にはすでに11月1日に諸聖人の祝いを行うことが一般化していたことがわかる。835年にはルイ敬虔王の布告によって、フランク王国の中で11月1日が守るべき祝日となっている。
その後、宗教改革者たちによってプロテスタントでは聖人への崇敬が廃止されたため、プロテスタント諸国では徐々に廃れていった。しかしスウェーデンでは、諸聖人の日は死者のために祈る日となることで存続した。
アイルランドやケルトの習慣では諸聖人の日の前の晩は「ハロウ・イブ(Hallow Eve)」と呼ばれ、キリスト教伝来以前から精霊たちを祭る夜であった。19世紀になって、北アメリカに移住した移民によってアメリカ合衆国に持ち込まれた習慣が「ハロウィン(Halloween)」である。「ハロウィン」は「ハロウ・イブ」がなまったものである。アメリカ合衆国では現在、このハロウィンの方が盛大に開かれる。だが諸聖人の日には、元々アメリカ国内にてカトリック教会の信徒が少ないせいもあって、これといった行事は催されないのが通常である。
なお、イギリスとカトリック諸国では諸聖人の祝日がその後も続いており、例えばポーランドでは同じ11月1日に、サドゥスキーといってろうそくを持って墓参りをする習慣がある。ポーランドをはじめ伝統的にカトリック信徒の多い国では、いまも11月1日は国民の祝日になっている。またポルトガルとフランスではこの日に亡くなった親族のために花をささげる習慣がある。ディアダスブルカスとして知られるポルトガル式のハロウィンは4月30日の夜に行われているが、諸聖人の日との関連はない。

貼り付け元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E8%81%96%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%97%A5

ハロウィンはもともとドルイド教のお祭りともいわれています。

ドルイドとは聖人と同じように徳が高く、ケルト時代の祭司。宗教的指導のほか、政治的指導、公私の争い事の調停と、ケルト社会に重要な役割を果たしていたとされています。

このドルイドのお祭りサウィン祭をカトリックが無理に制圧せずうまく残して今の形になったともいわれています。

Hallowmas

つまり11/1はハロウマスとよびましょう

死者の日には家族や友人達が集い、故人への思いを馳せて語り合う。祝祭はカトリックにおける諸聖人の日である11月1日と翌日2日に行われる。地域によっては、10月31日の晩も前夜祭として祝われる。

市街地はマリーゴールドの香りに包まれ、公園には露店が立ち並ぶ。11月1日は子供の魂が、2日は大人の魂が戻る日とされ、供え物がチョコレートなどのお菓子からメスカルなどの酒に変わっていく。日本のお盆に近い位置付けであるが、あくまで楽しく明るく祝うのが特徴である。死を恐怖するのではなく、逆に死者とともに楽しく笑うというモチーフとなっている。

墓地にも派手な装飾が施され、夜間にはバンドによる演奏なども行われる。カボチャを飾り仮装をしてパーティを行うなど、ハロウィンとも共通する点が多くあり、実際にルーツは近似している部分がある。

メキシコにおいて、「死」は擬人化されることが多く、さまざまな呼称がある。生への隠喩につながる表現もある[1]

アルタール[編集]

オアハカのオフレンダ

特徴的な装飾として、故人の遺影十字架砂絵、花、食物などを配置したアルタールと呼ばれる祭壇がある。メキシコでは死者の花とも呼ばれるマリーゴールドやケイトウ、食物はパンサトウキビ柑橘類ヒカマなどが好んで使用され、砂糖で作られたガイコツキャンドル、故人の好んだもの(オフレンダと呼ぶ)などが色鮮やかに飾り付けられる。アルタールは住居内や玄関先だけでなく、街の中心部の公園や階段等にも置かれる。

オープンカフェのガイコツ

人々は1年間かけて準備し、墓地も時期が近づくにつれて念入りに清掃、飾りつけを施す。

メキシコにおける起源[編集]

メキシコでは2500-3000年前から、祖先のガイコツを身近に飾る習慣があった。また、死と生まれ変わりの象徴として、他者(多くの場合は敵)のガイコツもトロフィーの様に扱われていた。死者の日の祝祭は地域によって様々な形で生まれ伝承されてきた。

中でも、アステカ族には冥府女神ミクトランシワトルに捧げる祝祭があった。やがて、死者の貴婦人カトリーナに捧げる祝祭へと形を変え、アステカ暦の9番目の月を祝うようになった。これは現在の8月前半にあたる。その後、スペインからの侵略を受け、カトリック諸聖人の日と融合して今の形になっていった。

カトリックの影響があるないに関わらず、世界中の国々に類似した習慣が残されている。

メキシコ以外における死者の日[編集]

この節の加筆が望まれています。 (2018年9月)

メキシコ人が多く住むアメリカ合衆国の各地では「死者の日」の伝統は受け継がれている。その他の中南米諸国においても類似した行事が行われている。

en:Day_of_the_Dead#Observances outside Mexico」を参照

セルゲイ・エイゼンシュテイン[編集]

ソビエトの映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインの1931年作品『メキシコ万歳』(ロシア語Да здравствует Мексика! )には死者の祭りが描かれている。20世紀初頭の祭りの有様が確認できる貴重な資料となっている。

貼り付け元  <https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E8%80%85%E3%81%AE%E6%97%A5_(%E3%83%A1%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%82%B3)>

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